くそマッタケの憧れ

昼前に病院へ行く。2時間程してから駅に向かい、高島屋屋上でTさんと待ち合わせる。Sくんと合流して、プレゼントを渡して、やまちゃんへ行くも定休日、モスで話す。六時過ぎに六甲へ向かう。Yっさんのバイト先、大学のごはんは本当においしかった。とくにスジ豆腐鍋?と湯豆腐とにしんそば。きずしも。終電までゆっくり飲む。
帰り道、なぜかボクナナ2の主題歌が頭から離れなくなった。昔数カ月だけ働いていたバイト先で出演者のひとりに遭遇し、興奮したことを思い出す。小学校の頃は、星新一ぼくらシリーズ三毛猫ホームズシリーズにはまっていた。文庫本に油性ペンでSakamoto Rikuとか書いてたな。うん。

祖母の前半生はあらゆる苦労で構成されている、というストーリーがぼくの中にはある。それが事実そうであったのか、果たして祖母が導いた物語だったのかは定かではないが、それはまあどちらでもよい。たとえば祖母は私生児であった。ぼくの曾祖母にあたるなかさんは、昭和が始まったばかりの不穏な時期に女手一つで祖母を育てた。裕福であったはずがないことは想像に難くない。あるときなかさんは同じ村の男性と結婚した。そして数人死産したあと伯母を産んで、祖母がまだ20歳にもなっていないときに死んだ。曾祖父が再婚した相手は祖母に対して相当厳しく接したようで、このくだりを話すときの憎々しげな口調はまったく褪せていない。一節によれば、最近になって食事が進まなくなるまで、祖母の食べる速度が異常に速かったのは、継母がゆっくり食べていると御飯を取り上げていたためらしい。祖母は尋常小学校を出てすぐに工場に働きに出た。ぼくの母がいうように、祖母はとても頭が良く、間違いなく村でも上位に入ったのに、女学校に行かせてもらえなかったのは悔しい。指が曲がるまで働いて稼いだお金のほとんどすべてを家に入れなくてはならかったこともあって、祖母はあるとき妹を連れて家出をした。結局岸和田の駅前でうどんを食べただけで、それ以上先には行けなかったらしい。夕方、のれんの中でうどんをかき込む祖母と伯母の表情はどんな風だったのだろう。それから祖母の人生にも決して少なくない幸福があったと思う。けれど、ぼくが感嘆してしまうのは祖母の正直さである。祖母は決して自分に嘘をつかない。自分のなかのさまざまな欲望に正直で刹那的である。このことに初めて思い当たったのは、たしか高校生のときだった。ぼくは幼い時分から祖母に連れられ、薦められて近所の天理教の教会に通っていた。太鼓を叩いたり、おぢば帰りに行ったり、小学生なりに深く足を踏み入れていたつもりだった。高校生になってからはさすがに行ってなかったが、あるときふと思い付いて「なんであんなに天理教行ってたん?」と尋ねると、「うーん半信半疑やな」という答えが返ってきた。祖母にしてみれば、自分やぼくの喘息、家族の健康を少しでも良い状態にしようと、それこそ頼れるもんは頼っとこかという気持ちだったのだろうが、宗教ってそんな位置にあるものだっけ、と疑問は拭えない。それに天理教に費やしたぼくの時間はどうなるの。(補足しておけば、ぼくは天理教そのものに否定的なわけではない。「おたすけ」の効果はすごいと思う。さすってもらうことが安心に繋がるどれだけ合理的な行為か。)と、思うが何故かあの一言を呆れるでもなく、恨むでもなく、かっこいいと思ってしまった自分がいる。まだまだ健康だったころの祖母はよく食べた。そしてかなり肥えていた。翌朝用に買ってきたパンや果物がいつの間にか消えている、という現象が連日起きていた。風呂に入ろうと夜中の一時にリビングに降りて、ゴソゴソと冷蔵庫を物色している140cmの人影を見るのは相当にこわい。そんな祖母を見て、息子である父は常にピリピリと怒っていたが、祖母の食欲は一向に減らず、胴囲は1mのままだった。それでもあっけらかんとした食欲への素直な反応は潔かったと思わずにいられない。今日11時半ころに病院に行くと着くなり、「ぶっさいくに切ったんやか、くそマッタケやな」と彼女はのたまった。一瞬腹もたったが、祖母の頭の中にぼくがそうあるべき理想の髪型が存在しているのかと思うと、「くそマッタケって何?」としか反応できなかった。悔しい。今日の祖母はぼくや家族や自分自身の色事の話題で盛り上がっていた。水分しか採っていない状態でも、色に関する興味や欲望がますます噴出しているのは、ある意味人間らしさの権化ということかも、と妙に納得してしまった。携帯カメラを向けてなんか喋ってと頼むと、「ばっかやろうしか言うことない」と2回宣言した怒れる祖母に、くそマッタケは正直憧れている。