ページの裏側

二日ぶりに家に帰って、就職祝に名菜楼でごちそうになる。間違いなく、ここ数カ月で一番満ち足りた食事だった。蒸し鶏(ネギソース)、中華パン、おこげ、鶏とカシューナッツの炒め、酢豚(黒酢)、そして杏仁豆腐。

こどものとき、本のページの裏側は白紙か真っ黒なんじゃないかと疑っていた。素早くページをめくってもそこには、前のページと同じように文字が並んでいるだけなのだが、素早くめくる間に文字を並べる何か「仕掛け」があるはずだと思っていた。逆に言えば、目の前にある文字、紙、インク、それ以外のものすべてが自分の経験の一部なんだとも言える。なにもかも自分の人生の一部。

いつか書こうと思っていた介護について書きはじめたい。
祖母が今の病院に入院したのが昨年の九月だから、今月でもう半年近くになる。それまでも年に一度の割り合いで、ここ数年は入院が続いていた。原因は主に転倒による骨折やヒビで、安静とリハビリが必要なためだった。今回の入院が今までと大きく違うと感じ始めたのは昨年12月25日のことだった。この日までの三ヶ月間は、多少の体力の低下はあっても以前の入院とほぼ同様の生活だった。しかし、この日祖母は突然高熱を出し、幼児のひきつけのような症状に見舞われた。昼過ぎに病因で祖母に付添っていた祖母の妹は驚いてナースコールで先生を呼び、母に電話をした。症状自体は比較的すぐにおさまったが、酸素マスクが外せない状態が続いた。数日ではっきり話せるようにもなり、いつもの祖母に戻ったかのように見えたが、「食事が進まない」という大きな壁にぶち当たった。以前から祖母は病院の食事(もしかしたら病院での食事)を避け、口にしないことが多かったが、今回は一口も食べないことがしばしばだった。それまでは一日一回だった見舞いも、一日2回、昼食時と夕飯時に家族の誰かが付添う生活が始まった。仕事を抱える母は一日一回でも厳しいところを、それでも何とか融通して夕飯時も駆け付けるようになった。ぼくたち(ぼく、父、妹)は母が行けない合間に通っている。あれから三ヶ月、祖母は昇降しながら病院で生活している。少しずつ認知症も出始め、そのたびに家族で色んなことを話した。もちろん祖母の介護はこれからも続くし、何が変化するか明日のこともわからない状態だが、ぼくが東京に出る前に感じたこと、知ったこと、書いておきたいと思ったことをこれからしばらく、時間をみつけて書き留めておこうと思う。