「語ること、失うこと」

万城目学の『ザ・万遊記』を読んでいる。
彼の2冊目のエッセイだが、
その中に「語ること、失うこと」という一編がある。


自身の作品についてインタビューを受けるたびに、
溢れてしまう説明のできない「何か」について語っている。


これって、いわゆる作品だけじゃなくて、
日常の色んな感情や気持ちや想像にも当てはまる。


例えば、恋愛のごく初期の頃、
○○さんのことが何となく気になってるかも、、いや気のせいかも、、
というとても曖昧な状態なのに、
それを誰かに言葉にして話したとたん、
「好き」というベクトルに固まってしまう。


誰かのことが「嫌い」という場合も同じである。
「部長、むかつく!」と誰かに話した瞬間から、
部長は「むかつく人」になっていってしまう。。
他の可能性もあったかもしれないのに、、。


これってとても注意した方が良い。と思う。
自分の気持ちとか感情とか、想像しているものなんて、
とても曖昧で、それをそのまま誰かに伝える、
なんてほとんど不可能に近く、途方も無い。
だから言葉にするときは、それを要約したり、整理したりする。
そのとき、抜け落ちちゃってる部分を自分自身が忘れてしまうこと。
それがなんか、ちょっと怖い。


ん?この感情は本物か?
他の感情は無かったっけ??
と、ちょっとだけ冷静な部分を忘れずにいたい。


逆に言えば、何かを整理したいときには、
誰かに話してみれば良いと思う。
ものすごく頭がクリアになることがある。


写真は先週行った、山梨白州町の風景。
すこーん。





さて、続きを読もう。