羅生門、髪抜きの老婆と目が合う。

午後から京阪に乗って京都に行く。
「through the surface:表現を通して―現代テキスタイルの日英交流」(京都国立近代美術館)気になったのはどの作家(デザイナー?)も襞を制作過程の重要な要素として採用している点だ。それらは数学的、幾何学的に反復されるようなものから、布地の質料を感じさせる重々しいドレープまで様々な表象となって表れている。そういえば動物の腸の内壁は拡大していくと襞の構造が何十にも繰り替えされており、それは表面積を広げるためである、という話を思い出す。また現代のテキスタイル・デザインを考察する上でに欠かせないことの一つに、化学や工学などのテクノロジーがあることを知った。不織布の上に様々な金属を組み合わせたり、像を転写したり。これが結果としての作品を「構成する」プロセスであるなら、織布をほどき、ほぐし、糸あるいは繊維にまで還元する作業も、「解体する」ことで作品として成立させるプロセスだと言えるだろうか。出品作家の一人が以下のようなことを述べていた。「かつてどこかで誰かが来ていた衣服を分解しほどいていくと、そこからは意味が剥奪される。意味が奪われたあとのひょっとしたらただの糸屑になってしまうかもしれない塊に残されているのは、ただテクスチャだけである。これは記憶に似ている。わたしたちの記憶もまた回想する段階で既に意味は失われており、テクスチャの集合のようなものだ。」
すぐ裏手で開催されている古書大即売会に行く。『写真との対話』、オルダス・ハクスリー『知覚の扉/天国と地獄』、あと文庫本をいくつか購入。そして西院まで歩く。