5月の帰郷

ゴールデンウィーク直前に実家に帰った。
久しぶりの夜行バス。
出発の3時間ほど前に漸く会社を出た。
会社を出るとき、「早く出ろ!」「消えろ!」と背中に聞こえた同僚たちの声が、
なんとも温かかった。


夜行バスはやはりぼくにとっては心地いい。
もちろん足元は窮屈だし、素性の知れない老若男女と詰め込まれるのは、
ある種不快でもある。
でも、「ここどこ?」という不安感が旅の昂揚と相まって、
SAで乾燥対策の水とマスクを買うのである。


難波から実家へ戻るとき泉北ニュータウンを通過する。
ぼくの駅は終着だがその一つ手前の駅に停車する直前の風景にぐっときた。
もうかなり前から薄々思っていたが、
湖の向こうの団地群が、円形劇場のように見える。
地図の→の方向から見たかたちだ。
このあたりは丘陵が多く、ギリシャっぽいなーと先入観100%で思う。



実家のみんなは元気な様子。
祖母は2年前の認知症は跡形もなく回復していた。
タクシーで家の前に停車すると、
霞がかった通りの奥に紛れもない祖母の姿。
杖をつきつきカラオケに行ってきたとのこと。
地獄だか天国だかわからないが、
この世から半分飛び出た足は見事に現世に舞い戻り、
日々自宅とカラオケを結ぶ手段になっているわけだ。


翌日は祖母の希望もあり、車でデート。
回転寿司を食った後、
「リサイクル公園」と呼ばれる産廃埋め立ての跡地に造成された公園に向かう。
公園は結構混雑していた。
連休前とはいえ、暦では平日。
普段なら六本木のビルに囲まれた地下の事務所でキーボードを叩いているのに、
今は公園で花をしり目にグリコのアイスを食っている。
幻想のようだと思った。
それにしても公園を闊歩していた紳士淑女はどんな仕事をされているのだろうか。
リタイア組とも思えない若い方もいたし。
世の中の仕組みはまだ分からない。


公園の後、スーパーで買い物。
祖母はしきりに「何か買いや」と言う。
特にないなあ、と考えていたら、「ハミング使うやろ、買ったる」と言い出す。
重いし、運賃の方が高なるわ。


その晩は大学のときの友人と梅田の第一ビルの湯浅港で飲む。
後で聞くと結構有名な店らしく、納得の上手い魚のオンパレード。
特に雑炊がヤバかった。
「美人は三日で飽きるなんて誰が言った」
と、最近かわいい彼女ができた友人が鼻息を荒くする。


三日目は午後から平野の姉の家に車を飛ばす。
ぼくが東京に越した直後に生まれた甥ももう2歳。
よく喋る。
姉のマンションのすぐ近所のイトーヨーカドーに行く途中、
しきりに「コーンあったねー」と彼が言う。
どうやら工事現場にある例の▲のあれが好きな様子。
頼もしいぞ、育。
そのまま名前の通りすくすく育って、
先入観にとらわれない自由な目で世界を眺めてほしい。

夜は専門ときの友人とラーメンズ
正直に言うと、久々の公演鑑賞で感じたのは、
「なんか違う...」という違和感。
でもいくら考えても、
台本や彼らのパフォーマンスなどの公演そのものが大きく変化したようには思えない。
これってひょっとしたら、
母親が数日旅行に行ってて、久々に飲んだおっぱいの味が変わっていて、
乳離れする赤ちゃんのような感じか、と思った。
なんとなく。
とはいえツボはたくさんあって、
特にタワーを愛する二人の友人の話が最高。
「赤いランプの下で待ってるからー!」と絶叫するラストがいい。
ていうかこれ、壇れいか。今気づいた。


その帰り、飯を食いながら友人と話をした。
仕事を始めてから多忙で睡眠も満足にとれていないのに、
なんでか心身ともに健やかだ、という話をすると、
「あなたはアンデスの荒地でしか満足な実をつけないトマトなんだ。
 わたしのような温室で美しい花をつける薔薇と同じような環境では、
 根腐れを起こして、周りを巻き込むだけ」
というようなことを言われた。
言い得て妙だ。
日本の土壌は基本的に豊かなので、
本来荒地で育つトマトはいくら大切に育てても美味しい実をつけないらしい。
アンデスの荒地でこそ、赤く凝縮された実をみのらせるという。
温室までいかなくてもいい、アンデスよりは日本がいいなーと思うトマトである。


みんな健やかであってほしい。