見たことのない風景

メモ:感じる心と言う勇気。たくさん歩け。

働いている。一日中。会社を出て、会社に戻る。今日晴れやんて気づくのが日暮れ。Tシャツで出勤して、泊まり込んでいるといつのまにか肌寒い季節になっている。髭がのびる。床で寝る。朝ご飯が眠眠打破
この状況は確かに苦しい。まだ味わったことのない苦さ。
でも、まだ働いている。現在午前2時過ぎ。丑三つ時の六本木に、草木が眠れる暗がりはない。
今自分が働き続けていられるのは、映像が好きだとか、クリエイティブとか、広告とか、そういうことではなくて、自分自身の性格、中身を知って変えていきたいからだと思う。この仕事に影はない。自分の全てが相手の前にさらけ出され、引きずり出されてしまう。知っている言葉、好きな本、言葉の選び方、服の着方、人と話すときの姿勢、ネガティブなこともポジティブなことも何もかも。人と会って、人と仕事をする。内側がが空っぽになってしまうほど自分の内蔵はすかすかではないと信じているが、目の前に広げられた自分の内蔵が汚いのは、やっぱりショックだ。これが自分か、と思う。でも、そんな自分を自分はやっぱり知っていたような気もする。あのとき、何もかも自分が背負い込んでいるように感じて、匙を投げたときと今の自分は同じだ。それが目の前にさらけ出されているだけなのだ。その恥ずかしさが自分をここに居座らせている。午前2時22分、仕事場にて。

最近好きなマンガ:小田扉、なかでも『団地ともお』。