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カモライト

最近読んだ本、筒井康隆『霊長類、南へ』瑣細な小競り合いから始まった各国の核弾頭のパイ投げ合戦によって、地球は北半球から徐々にしかし確実に爆発、熱、放射能によって死の海と化していく。“霊長類”たる人が南へ南へ逃げようと足掻く姿のおろかさを、痛烈に、残酷に描く。この長編の一応の主人公と言える人物は新聞記者の澱口だが、彼をとりまく状況を描いた章と、それ以外の人物(アメリカ大統領、総理大臣および永田町、ユーレカシティ、東京下町の夫婦、羽田空港、南極)を描いた章が、ほぼ交互に描かれる。前者は「おれ」という一人称だが、後者は三人称で語られる。澱口は死の確かな存在を確認し恐怖したり、移動を目的とすることで死を忘れることができたり、翻弄される自分や他人を目撃して呆れたり、それらを繰り返しながら最終的な死ぬことへの悲しみを確かにしていく。それに対し後者で描かれる「群集」は、恐怖に導かれ愚行奇行を繰り返すか、恐怖すら認識できずにいるかのどちらかである。バラードの『沈んだ世界』も同じように終末世界で南へ移動する人を描いているが、バラードが南へ移動することの動機をひたすら人間の、原初的な衝動にまで深く削っていくのに対し、筒井のこの小説では全編にわたって、社会の中での人間、群集が強調されている。慌てふためく人間は、羽田空港、晴海埠頭などいたるところで、自らの首をしめて、飛行機ごと、船ごと死んでいく。

最近見た映画、フランソワ・トリュフォー『華氏451』モノレールや焚書隊の車など。物語の最後、ブックマンが暮らす村で死にゆく老人の代わりに本を暗誦する少年、それに合わせるようにして降る雪、行き交う人々、奥に広がる湖を描いたシークエンスが美しい。

光明台はいい感じの集合住宅が多い。団地が整然とではなく、重なり、交互に影になるように並んでいるし。植物も相当成長している。なだらかな傾斜が何キロか続き、放課後の中高生がいたるところで話している。