『ユナイテッド93』

exterior2006-09-26

ユナイテッド93』(監督ポール・グリーングラス

ユナイテッド93便の乗客は、“9.11以降の世界”に生きた最初の人々だった。」
憲法九条を世界遺産に』で読んだように、護憲思想の脆さは現実に対応できない可能性が強いことである。9.11にハイジャックされた内の一機を描いたこの映画は、断片的な会話や手持ちカメラといったドキュメンタリーの方法論を駆使してはいるが、あくまでフィクションである。しかし、私たちが憲法について語る際に危惧するもう一方の「現実」の一端がここに連なっていることは間違いない。事実として生じたこと、生じなかったこと、そしてこれまでそれを想像してこなかった自分に気付く。9.11以降、現実がフィクションを超えたと言われるが、それは想像力の限界を示しているのだろうか。それでも、起こり得た様々な状況をイメージしてみること、それらを関係させてみることを諦めてはいけないように思う。ハイジャック後の機内のシーンで乗客らは、家族や恋人に「愛」を告げる。「愛」「勇気」「希望」この耳障りのいい言葉に、事件や現実がいつも妙に納得させられ、消化した気にさせられ、もうこれ以上考えなくてもいいという気分にさせられることに疑問と苛立ちを感じてきた。『ユナイテッド93』に、その側面がないとは言えないかもしれないが、乗客らが揃って『I love you』と伝えるのは、異様でもある。それは決して耳障りのいいだけの文句ではない。彼らが、最期に呟くもう一つが、神への祈りの言葉である。キリスト教に関して無知なぼくには、それが救済を求めるものなのか、神への愛を示しているのか、よくわからない。しかし、ハイジャッカーのムスリムらが、操縦棹にモスクの写真を貼り、同じような姿勢で神に祈りを捧げる姿は、乗客らのそれと非常に似ている。彼ら自身の中で何がどのようにちがうのか。今、「現実」という語の意味を考えるとき、「テロ」という単一の状況が浮き立っている。しかし、ぼくたちが向き合っているのはテロという状況や事件だけではない。それはイスラム教徒としての彼らであり、経済上の関わりの中での人間であり、生活の中での隣人である。ぼくたちは、何をささやいて死んでいくのだろう。