MellowMinoh

  • 今日読んだものから

「形ではなく行為をデザインしたかった」「モノのデザインは行為の残像(身体が通り過ぎたあとに残った形)として生活を彩るもので、動きのない部屋の飾りではない」「デザインはすごく安いお金で非常に効率のいい変化をヴィジュアライズできる最も良いツールなんだ」(以上深澤直人
彼はデザインと冗談を言う行為が似ているとする。感覚(あるいは情報?もう少し厳密なタームがほしいところ)が共有されていることを探り、確信するという点で確かに同じ構造をもつように思えるが、冗談(笑い)の場合、共有感覚に関してはもう少し複雑なように思う。可能な限りその感覚を共有する領域が広いほうがよい、というものではない。まずその感覚を身につけていることの確認を果たすことが行われるが、このとき聞き手全員を包括する条件さえ満たせば共有範囲は狭くともよい(あるいは狭い方がよい)と考えられるからだ。ここでの共有感覚の利用はある種の集団の特権意識に近く、江戸時代の「粋」概念とも通ずるようなくすぐり方である。
「衣服が第ニの皮膚なのではなく、身体が第ニの衣服なのだ」(鷲田)