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大学の四年間の力はすごいと思う。少なくとも、いまのぼくの思考回路の多くはこの時期に繋ぎあわされた。でも他の可能性を押し殺してしまってるような気にもなるときがある。さっきNHKゴッホゴーギャンの特番があり、同時期に制作された二人の作品を比較しながら、絵画という芸術に対する彼らの考えの相違を主に検討する内容だった。一方で眼前に存在する風景や人々を「情念をこめて(?)」一気に描くゴッホ、他方でデッサンをもとに確固たる理念のもと緻密に画面を再構成するゴーギャンという構図が、なるほどと唸るほど分りやすくそこには現れている。彼らはその相違のために決別し、しかしその後も互いの影響から離れることなく絵画を制作し続ける。講義で登場する画家は、旧制を破壊し新たな概念を切り開く、極めて冷静で知性的な存在だ。だが現実の血の通った人間の言葉もまた芸術にとってすら無価値でないような気がする。
武満徹「E♭ 、E、Aの三つの音は、ここ十五年程の私の音楽発想の基調音となっている。E♭ は独乙音名、英語のSなので、この三音はSEA、つまり(英語)の海ということになる。この音程は、あくまで私の音感が択んだもので、海という象徴的音名ではない。
 だが、この地上の異なる地域を結ぶ海と、その千変万化する豊かな表情に、しだいにこころを奪われるようになった。できれば、鯨のような優雅で頑健な肉体をもち、西も東もない海を泳ぎたい。」