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車での移動中、清水靖晃の『無伴奏チェロ組曲』を聴く。
絵の具はキャンバスの上にのせられてはじめて、絵画を構成し得る。同じように楽音もまた何らかの空間に放たれ、響かされたときに音楽作品を構成しうるのではないか。つまりどんな楽音も純粋に音楽作品のために用意されるのではなく、特定の環境に付き添って存在せざるを得ないということ。発生源の諸性質の代理記号である雑音を無関心に聴取することに新しい可能性があったのなら、同時に響く環境も広い意味での楽音の発生源ととらえ直すことも忘れてはならないのでは。
清水の『無伴奏チェロ』はかつての坑道か水脈か、広大な地下空間の中で演奏されている。尋常でない残響を聴きつつそんなことを考える。

「騒音や叫びを発する群れの本質と運動を把握する概念をつくることが重要である。概念としては、単一性ではなくて多様性、一ではなく多、実体ではなく関係が重要なものである。」(『現代思想のキー・ワード』ノイズ項)