映画、オール、映画

バイト先の歓送迎会朝まで。
酔いが急に覚める瞬間が恐いが、色んな人の色んな側面が発見できておもしろい。TさんとNさんとTさんに圧巻。

昨日は『2046』と『シークレットウィンドウ』を観た。
2046−恋する惑星から言われるモノローグの多用は変わらない。強いていうなら音声だけでなく文字として挿入される点。1960年代の香港・シンガポールの幾つかの時間と場所、2046という小説内世界が錯綜しつつ物語が進行しているように見えるが、煙草・手・覗き見など同じモチーフの反復やモノローグが整然とみせるのに役立っているように感じた。しかし2:20という上映時間は長い。日本版だけか。カーワァイ版源氏物語
シークレットウィンドウ−とうもろこし、帽子といった小道具、最後のショットあと、ジョニー・デップ以外はほとんど記憶に残らないだろう。

起きて『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』のDVDをやっと観る。客観的時間や空間とは人間の意識の産物ではないか、過去から未来へと線的に流れる時間、(時計的)時間概念の必然性の乏しさ、そして人間存在そもそもの曖昧さ。ここで問題とされている内容は確かに後の押井守の作品群、特に『攻殻機動隊』において繰り返されている。それにしても車内での会話(あたると面堂終太郎、夢邪気とサクラ)や喫茶店での会話(温泉マークとサクラ)のシーンでの演出も後発の作品と類似しているように思う。壊れたはずの物がいつのまにか元通りになって手におさまっている、というような都合の良さ、あるいは、泥沼化した『うる星やつら』の世界は、夢、というよりアニメ的な演出や物語に極めて自覚的である結果であろう。