ホラーマンガの食卓

秀才

最近観た映画、『X-MEN

最近読んだ本、ロバート・A・ハインライン『宇宙の孤児』もともとは1941年に書かれた一篇に残り三篇を加えて1963年に出版されたハインラインの初期の作品。地球から最も近い恒星ケンタウリを目指して出発した巨大宇宙船内で反乱が起き、技術者は全滅する。生き残った人々はやがて目的を忘れ、閉ざされた宇宙船内部を全世界と信ずる信仰に向かう。「中世的」迷信の世界に移行したころ、主人公の少年ヒュウは廃墟となった上階でミューティ(ミュータント)と出会い、無限に広がる宇宙空間を目にする。ヒュウは住人らに信仰を打ち捨て、ミューティとともにケンタウリへ向かうという目的を実現するため奔走するが、共同体は彼らを次第に追い込んでいく。僅かにのこったヒュウと仲間は小型船に乗って、「船」を離れ、目的の惑星におり立つ。
このそれほど長くない小説の最も刺激的な描写は、ヒュウが初めて宇宙に広がる星々を目にした箇所だろう。彼はそれまでの知覚や思考が裏返しになるような感覚を、ある種の目眩ともに受け入れる。彼は、始終感じてきた飢餓感(「では、この胸の痛みはなぜだ?いい食事をとっているにもかかわらず、執拗に迫ってくるこの飢餓感は?」)の理由とフロンティアの存在を初めて知る。笠井潔によれば、この瞬間ヒュウは「ヒーロー」になる。だが、彼も指摘しているように、この主人公は辺境と自らの目的を発見したあとも、受動的・消極的にしか事態に関与できないのがひっかかる。ケンタウリに向かうことを「船」の住民らに伝えるときも、自分は行政には向かないとして、技術的な仕事に埋没し、物語から退く。後半の核となる、共同体の変化に関してヒュウはほとんど関わらない。このことからさらに、この共同体の中世的な性質が個人の内部でも、社会的にも最後まで変化しないことも指摘できる。ヒュウ自身が自らを「科学者、航宙士」だと限定していたのは、主体的に決断したというより、その生まれに関係している。また、彼の仲間のアランは幼馴染みであるにも関わらず、科学者ほどの知識を吸収できない生まれの者として全員が了解しているし、ミューティの扱われ方に顕著である。このことは、結局登場人物らの主体性が変化しないという現象を指し示している。燃料を生成するための転換機に、主人公ら自身も住人を次々と投げ入れようとすることが象徴的だ。与えられた空間が拡大しても、「中世的」な自我は拡大しない。
ヴィレッジ・ヴァンガード泉南イオン)で『おろち』購入。