タワーについて

exterior2005-09-22

関空島にわたるブリッジの手前に高いタワーがある。名前も知らないこのタワーは、実は当初もう一本建設して対のタワーとなる予定だったそうだ。タワーの形状からもそれはうかがえるが、予算の不足で着工に至らず、代わりに「りんくうぱぱら」という遊園地、というか大きめのゲームセンターのようなものが造られた。小学生のころ何故か大晦日にこの遊園地に行くことが多かった。我が家はゲームとかの類いを全く与えてくれない方針だったが、この日だけは何時間もひたすらコインゲームをした記憶が有る。でもこの遊園地もちょうど一年程前に閉園した。中途半端な廃虚が残っているが、もし仮にバブル崩壊があと5年位遅かったら、もっと大きな廃虚が空港の隣にできていたかもしれない。
このタワーに昇ったことのある人はどれほどいるのだろうか。「ぱぱら」の観覧車には何度も乗ったが、タワーの方は仰ぎみるだけだった。仰ぎみる建築といえば中世ヨーロッパの大聖堂だろうか。大聖堂は言うまでもなく神聖さ、崇高さの空間的メタファーによって見る者を圧倒し続けるが、りんくうのタワーはどうだろう。企業の集合体(であるはずだったが、テナント不足が致命傷になっている)として脇に聳えはずのタワーは畏怖の対象、共同体が透けて見えるシンボルどころか、バブル時の浮かれ具合とこの程度で留まったディストピアの裾を垣間見させるだけだ。このタワーは完成した時点、どころかする前から廃虚として存在しているとも言える。
だれも昇ったことのないタワーという点では京都タワーと通ずるところもある。だが京都タワーは京都らしさを背面から照射しているともとれる。りんくうのタワーが「りんくうタウンらしさ」「泉佐野」らしさを住民に与えることはおそらくあり得ない。また京都タワーは形状的、高さ的にも企業的資本主義のイコンにはなり得ないが、りんくうのタワーの形状は違わずこのフォーマットを採っている(高さは横浜ランドマークタワーについでWTCとともに日本ニ位)。だが企業から見放されているという自己矛盾..。
仰ぎみるべき権力やそこから派生する共同体はなく、上から見下ろすべき都市もない。このタワーを通して何か見えるとしたら、ゴーストタウンだけだ。