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exterior2005-05-31

忘れないうちに東京巡礼を辿っておく。

5/22の夜行バス、梅田を22時半出発。車内でのんびり読書したり撮影しようと予定していたが、意外にも満席。カーテンも全部閉じている。隣の男性は割腹のいい男性でストライプのスーツを着ている。狭い上に服の端すらはみ出さないよう体を折り畳んでいる。座席は通路側なので足を伸ばせてよい。前日に買った佐野洋子のエッセイを少し読む。間もなく消灯。消灯後は一切の会話・携帯等禁止とのお達しが運転士より下っていたのでエンジン音以外は何も聞こえない。...車が走る音、高速道路の風、詰め込まれた人間、向かう東京は地獄か天国か..。ピノキオは誘われるままにおもちゃの国に行き、遊びに明け暮れるうち、知らぬ間に耳が生えロバになってしまった。そのおもちゃの国へ向かう馬車の中の光景はこんな感じだろうかと思った。途中ニ度ほどサービスエリア(巨大トラック)にて休息をとるが、その他の時間は99%睡眠に費やす。
翌朝6時東京駅八重洲口に到着。ぐるぐると迂回してステーションギャラリーの方へ回る。ホールがふいに現れ、東京に来たことを実感。『東京日和』の島津とヨーコはここで待ち合わせたのか。友人Kとは六本木で10時半に待ち合わせている。とりあえずの休憩場所探しがてら皇居の方へ向かう。が、人も車も少なくガラーンと突き抜け、突き抜けた先には東京タワーが見えるではないか。早朝の清々しい空気も手伝って気のむくままに歩くことにする。日比谷公園(おー『パークライフ』)、桜田門(全国47都道府県の県木?が並んでいた)を通過し、霞ヶ関・永田町に近づいたあたりでランニング人口が増える。大集団を見送ったところで、カーネルサンダース風のおじさんにあの集団は何者か、と英語で聞かれる。んー「uh-ジエイタイ」といっても勿論通じない。「military」でようやく納得。初の会話が英会話とはエスプリ。国会議事堂は意外にでかい。そしてエントランスが長い。朝の永田町は警備員(警察官?)しかいない。溜池、赤坂を抜け、六本木にたどりつく。スタバで二時間粘る。タワーの見えるヒルズ下のベンチで待機する。Tシャツを着替える。ようやく友人と再会。ロッカーに荷物を預ける。
このあとの記憶が既に曖昧だ。写美に行こうと恵比須へ向かってから品川の原美術館に行った気がするが逆だったかもしれない。どちらにせよ両館とも休館日であった。調べていたのに勢い余っている。月曜も開館している岡本太郎記念館を目指して表参道へ出る。途中目を引く建築があったのでよく見るとプラダ路面店。建築の形状。床面はおそらく正方形で全体としてはほぼ直方体、壁面はすべて◇のガラスで構成されている。そのガラス一枚一枚の形状も均質ではなく歪曲した箇所もあり、内から眺めると外部の景観も視点によって歪みが加わるので変化に富みおもしろい。ガラス外壁以外の唯一の壁面といえる階段も単調に上階まで続くのではなくずらされており、それに伴って各階の商品配置も自然と変化する..(ロンドンの「テート・モダン」を手がけたスイス出身の建築家デュオ、ヘルツォーク&ド・ムーロン設計)。
その後少々道に迷うが岡本太郎記念館前に無事到着。さきに隣接するカフェで昼食をとる。2種から選べるランチの片方が完売、自動的になんとかパスタの娼婦風に決定。意外にも普通に美味しい。二階のテラス越しに青山の上半分が見える。岡本太郎記念館では企画展『透明なリアル』を開催中。スリッパに履き替えまずニ階へ上がる。今回の企画店は岡本太郎作品のなかでも一般的でないであろう具象絵画やスケッチに焦点を当てている。肖像画に近いものから、地と水を主題とした日本画のような作品まであって岡本太郎のまだ見ぬ思考の断片に触れたような気になる。はじめて知ったのだが同じ室内には彼がデザインした椅子(「バタフライ・スツール」に似たものもあった)も設置されており、座って庭を眺めおろすことができる。一階のアトリエで写真を撮り、庭に出て写真を撮る。おそらく二十坪に満たない比較的狭い空間に太陽の塔がひしめく。ソテツのような植物が群生しておりなんとも調和している。
下町に行こうということになり、古書店が多いと噂(?)の神楽坂駅に着いたところで友人がカフェに上着を忘れたことが判明。古本探しの余裕もなく飯田橋まで急ぎ歩き引き返す。忘れ物を引き取ったのち、六本木に戻ることにする。よく見ればビルの合間にヒルズが見えるので歩くことに。途中でジェラートを衝動買い。たしかマーブルチョコとティラミス(600円over!)。これまた美味しい。森美術館では『ストーリーテラーズ:アートが紡ぐ物語』と『秘すれば花:東アジアの現代美術』を開催中。気になった展示を挙げる。まず前者から。ウィリアム・ケントリッジ『潮見表(Tide Table)』(2002)はドローイングを描いては消し、次のアクションの一こまを描くという作業を繰り返し、編集を行ったアニメーション作品。輪郭線と動線の曖昧な点、完全に前の画像を消せず、残像のようなものが続く点でピンスクリーンに似ている。テリーザ・ハバード/アレクサンダー・ビルヒラー『シングルワイド(Single Wide)』(2002)は映像作品。トレーラーハウスの前に停めた車の中で怒りなきわめく女性が車ごと家に激突し、テディベアを抱えて脱出し、再び戸外の車の中へ乗り込む。。という筋(?)を延々を繰り返す。始まりと終わりのないループ構造。スクロールのような右方向へのカメラのパン。室内と室外の繰り返し、などがこの映像の特徴としてまず挙げられるが、ここで問題となるのは「どこを作品の始まり、あるいは終わりと認定するか」という問題であり、この問題は解決されないまま、行為に無意識的に組み込まれた「ストーリーを見極めることの安心感」への不信が残る。あとはグレゴリー・クリュードソンの『トワイライトシリーズ』(1998-2002)、小谷元彦『ジャッカル』(2004-05)。後者で最も惹かれた作品は、上下の反転した室内(天井に家具一式、床がぶら下がる)の壁に窓から差し込む夕もしかしたら朝の日、と泳ぐ金魚が映されるというもので、この内部に入った鑑賞者ごと外部のモニターで上下反転して流される。つまりモニター上には夕日の差しこむ室内の天井を人が歩き座っている光景が映し出されるということ。残念ながら作者・タイトルともに失念。他には「鳥」という漢字が漢字になるまでの象形化の過程を分解し、インスタレーションにしたものや、極小の文字のみで山水画の主題を構成したものなどがあったが、どことなく伝統的な文化を参照あるいは引用している作品が多いように感じられた。展望台を含めたっぷり三時間ほど滞在した後、ロッカーから荷物を取り出し、大学の友人Z宅に向かう。本日はここまで。残り二日分は明日以降。

追記:今日5/31はバイト後友人Aと梅田で喫茶店で話したあと、天六の大 阪市住まい情報センターへ向かい、サウンドインスタレーションを見る(聞く?)。クリストフ・シャルル。その後淀屋橋まで散策。淀川、土佐堀川を歩くには夕方が一番気持ちいい。